女子高生コンクリート詰め殺人事件

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女子高生コンクリート詰め殺人事件
(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、
1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、
東京都足立区綾瀬で起きた
猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。

被害者に行われた行為

アルバイト帰りの女子高生を誘拐して不良仲間4人で輪姦

不良仲間の家に監禁し暴走族仲間十数人で輪姦、関係者は100人に及ぶ

殴打された顔面が腫れ上がり変形したのを見て「でけえ顔になった」と笑う

度重なる暴行に耐えかねて、被害者は「もう殺して」と哀願

顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てる

衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできず飲料パックにした尿をストローで飲ませる

鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出、室内に飛び散るなど凄惨な状況となった

素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、腹部、肩などを力まかせに数十回強打

1.74kgのキックボクシング練習器で、ゴルフスイングの要領で力まかせに多数回殴打

揮発性の油を太腿部等に注ぎ、ライターで火を点ける

死んだのでコンクリート詰めにして放置

腕や足は、重度の火傷で体液が漏れ出していた

脳が萎縮して小さくなっていた

この事件は、加害者が全て少年(未成年)であったこと、
犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、
少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も
被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。

出典
女子高生コンクリート詰め殺人事件 – Wikipedia

1988年11月25日、18歳Aは埼玉県三郷市内で
当時17歳の女子高生をわいせつ目的で拉致、
ホテルに連れ込み強姦した。
その後、A、17歳B、16歳C、17歳Dの4人で
東京都足立区綾瀬のCの自宅に
女子高生を監禁。
同28日、17歳E、16歳Fも加わり、
6人で女子高生を集団で強姦。
その後もCの家の部屋で
監禁、強姦、傷害など虐待行為が続いた。

出典
性犯罪殺人事件 女子高生コンクリート詰め殺人事件

事件概要

1988年(昭和63年)11月8日、
A、B、Cの3人が足立区内で自転車で
帰宅中の女性(当時19歳)に声をかけ、3人で輪姦した。
このときはAが運転するシルビアにB、Cが乗り込み、
ドライブの誘いに応じないとみるや車を横づけにして行く手をはばみ、
Bが自転車の鍵を奪って嫌がる女性を車に乗せた。
逃げられないように常磐高速道路に入り、
「少年院を出てきたばかりだ」
「大洗(おおあらい)に行こう。大洗の海は寒いし、波が高いぞ」
などと脅し、観念させてホテルに連れ込んだのだった。

11月25日午後6時ころ、
AはCの自宅に行き、Cに対して、
「今日は給料日だから金を持っているやつが多い。
ひったくりに行こう」
と誘った。Cは友達からバイクを借りて、
2人で出かけ、ひったくりをした。

午後8時過ぎ、埼玉県三郷(みさと)市内をバイクで走行中、
アルバイト先から自転車に乗って帰宅する途中だった
県立八潮(やしお)南高校3年生の古田順子(17歳)
を見かけると、AはCに対し、
「あの女、蹴れ。あとはうまくやるから」と命じ、
Cは言われた通りに、バイクで順子に近づき、
左足で右腰を思いっきり蹴って、
角を曲がって様子をみていた。

順子はバランスを失い、
自転車に乗ったまま転倒、
側溝に落ちた。そこへ、Aが近づき
「大丈夫ですか」と声をかけ、
助け起こすと
「あいつは気違いだ。俺も脅された。
危ないから送っていってやるよ」
と言って、
近くにある倉庫の暗がりで脅し、
ホテルに連れ込んで強姦した。

午後10時ころ、
Aは自宅に戻っていたCに電話をかけると、
そこにはBの他にDがいたが、
Aはこの3人を外に呼び出した。
その後、
4人の少年たちは東京都足立区綾瀬の
Cの自宅の2階のたまり場に順子を連れ込んだ。

この日、Cの父親は3日間の社員旅行で沖縄に出掛けたため、
自宅には母親とCのひとつ上の兄がいた。

11月28日、Aは「いいモノを見せてやる」と言って、
呼び出されたE(当時17歳)とF(当時16歳)が加わって、
家人が寝静まった深夜に順子を輪姦した。
順子は必死の思いで抵抗した。
階下の母親は目を覚ましたようであったが、
寝具などで顔面を押さえつけられたため、
叫び声を上げることはできなかった。

11月30日午後9時ころ、
Cの母親は、このとき初めて順子の顔を見ている。
Cに対し「早く帰しなさい」と言った。
だが、1週間経っても順子がいることに気づき、
直接、順子に「すぐに帰りなさい」
とは言ってみるもののなかなか帰ってくれなかった。

また、この頃、順子に自宅へ電話をかけさせ
「家出しているのだから、私の捜索願いは取り消して欲しい」
と言わせている。
それも、一度きりでなく、
5日ごとに3回に渡って電話をかけさせており、
順子の親は家出だと思っていたという。

その後、昼夜の別なく、順子の体を弄び、
そのあまりの暴行に、順子が気を失うと、
バケツの水に頭を漬けて気を取り戻させて、
また犯すということを繰り返していた。そ
の間、交代で見張りを続けた。

12月初めの午後4時ころ、
順子は少年たちが夜遊びで昼寝をしていた隙を見て、
2階から1階の居間に降りてきて110番に電話した。
だが、運悪く、近くで寝ていたAに気づかれてしまった。
すぐに逆探知で警察からかかってきた電話に、
Aが出て「なんでもない。間違いです」と返事した。

AとBは、このことをきっかけとして、
順子に対し、手荒いリンチを加えた。
殴ったり、蹴ったり、
手足の甲にライターの火を押し付けたりして火傷を負わせた。
また、シンナーを吸わせたり、
ウィスキーや焼酎を飲ませて楽しんでいた。

Aは武田鉄矢の『声援』という歌に
「がんばれ、がんばれ」という歌詞があって、
いじめているときにそれを歌いながら順子に対し
「お前も歌え」と言って歌わせた。
自分たちが何もしていないときにも順子は小さな声で「
がんばれ、がんばれ」と自分に言い聞かせているときがあった。
12月5日、東京の東中野駅構内で、
電車の追突事故が起きた。
Aは順子に
「あの電車にお前の父親、乗っかっていて、
死んだってテレビでやってた。お前見たか」
とからかった。順子は不安そうな表情を見せると
「どんな気分だい」と訊き、「悲しいです」
と答えると「実はウソだよ」と言ってはぐらかした。
こんな調子でAとB、Cの3人は
「死んだ」「生きている」を何度も繰り返し、
心理的に順子を追い詰めていった。

12月10日ころ、順子は「家に帰りたい」と言い始めた。
すると、Aが「家に帰ったら母親に何て言うんだよ」と言うと、
順子は「今まで新宿で遊んでいました」と答えた。
それに対し、Aは「新宿で、学生服のままそんなに長く遊んでいられるかよ」
と言って、殴ったり蹴ったりの暴行を加えた。
さらに、火傷の跡にライターのジッポオイルをかけ火をつけた。
熱がって火を消そうとするのが面白いと何度も繰り返した。

12月中旬、小便で布団が濡れたことを理由にBとCが殴った。
果てしなく続く殴打によって順子の顔面が無惨に腫れあがり
、凸凹のない別人の顔になった。

「なんだお前、でけえ顔になったなあ」

誰かが言うと、また笑い声がした。

暴行がエスカレートするのにともない、
順子に与えられる食べ物もおざなりになっていった。
それは主にCの兄のG(当時17歳)の役目であったが、
監禁当初は出前を取ることもあったのに、
12月末には、1日に牛乳を1本、
たまにパン1枚与える程度になっていった。
トイレにも行かせず、
飲料用紙コップに排尿させられるようになり、
その尿を飲まされたりした。

Cの両親は異常な気配に気づいていた。
両親はそれ以上追及すると、
開き直られるのを恐れて、
2階の物音には耳を塞いでいた。

順子はリンチによる足の火傷が化膿して動けなくなった。
全身は衰弱し、
悪臭もひどくなった。
Aはその臭いが嫌だと言って、寄りつかなくなった。

少年たちはそんな状態になった順子を見て、
持て余すようになっていた。
だが、解放すると警察に知らされる。
いっそのこと、死んでくれればと願うようになる。

順子がいないところで次のような会話が交わされている。

「女は殺して埋めるのかな?」
「殺すならミンチがいいですよ」
「ドラム缶に入れて焼けばいい」
「コンクリート詰めにして海に棄てればバレない」
「自殺に見せかけて殺しますか? 
富士の樹海で首吊りでもさせますか?」

お笑い半分、冗談半分、
面白半分、暇つぶし、
といった感じであった。
1989年(昭和64年)1月4日、
監禁から41日目のこの日、
午前6時半ころ、
Aは徹夜マージャンで10万円ほど負け
ムシャクチャしていた。
その腹いせとしてAは順子をその対象にした。

B、C、Dの3人は順子の火傷の臭いを嫌って
Dの自宅でファミコンをしていた。
AはDの自宅に立ち寄り、
3人を誘って、Cの自宅の2階に上がった。

小泉今日子の『なんてったってアイドル』
という歌のリズムに合わせて
、順子は3人に次々と殴られて、
鼻や口から血を流し、
血だらけの状態になった。

ロウソクに火がつけられ、
順子の顔にそのロウを垂らし、
顔はロウだらけになった。

Dは自分の手に血がつくのを嫌がり、
Aがシンナーを吸ったビニール袋を手に巻き、
順子の肩や足にパンチを浴びせた。
やがて、順子は身体を硬直し、
ブルブルと痙攣し始めた。

Aは1.7キロもある鉄球付きの鉄棒を持ち出すと、
Dは順子の腹に落とした。
Aが暴力を振るうと、
今度はB、C、Dが「ウケ」を狙って、
面白半分に暴力をエスカレートさせた。
Aはリンチの途中で順子の死を意識した。

午前10時ころ、リンチが終わった。
Aは順子が逃げないように
足をガムテープでぐるぐる巻きにすると、
4人はサウナに出掛けた。

翌5日朝、死体の処理に困った少年たちは、
死体を毛布に包み、
旅行鞄に入れて車に乗せ、
近くの工場から盗んだドラム缶に
鞄ごと入れてセメントを流し込んだ。
セメントは、Aが以前、
タイル工として働いていた店に電話をかけて、
セメントと砂利を調達して作ったものだった。

Aはこのとき、
当時人気のあった長渕剛主演のテレビドラマ『とんぼ』
(TBS系列/金曜日21時~21時54分/1988年10月7日~11月25日)
の最終回のビデオを探した。
それは、順子が拉致された日、『
とんぼ』の最終回を楽しみにしていて、
アルバイト先から家路に急いだが、
その後、監禁されたために最終回は見ることができずに、
そのくやしい思いを何度か口にしたからで、
そのビデオも一緒に入れようと思ったからだった。
女子高生や遺族にとって何の救いにもならないことだが、
Aが見せた唯一の人間らしい一面だった。
だが、このことについてAはのちに
「可哀相というよりは呪われたくなくて・・・」と話している。

午前8時ころ、
ドラム缶を海に投棄しようと
江東区若洲15号地若洲海浜公園整備工場現場空き地まで車を走らせたが、
恐くなってしまい、
その空き地にドラム缶を投げ出して帰ってしまった。

判決状況

1989 07/31第一審 東京地裁 初公判

1990 05/21第一審 東京地裁 論告求刑公判
検察側は主犯格の被告Aに対して無期懲役、
被告Bに懲役13年、
被告Cと被告Dに懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑

1990 07/19第一審 東京地裁 判決公判
東京地裁は被告Aに懲役17年を、
被告Bに懲役5年以上10年以下、
被告Cに懲役4年以上6年以下、
被告Dに懲役3年以上4年以下の不定期刑をそれぞれ言い渡し

1991 07/12控訴審 東京高裁(柳瀬隆次裁判長) 判決公判 判決文
東京高裁は、被告A、C、Dについて、
一審判決を破棄し、
被告Aに懲役20年を、
被告Cに懲役5年以上9年以下、
被告Dに懲役5年以上7年以下の不定期刑をそれぞれ言い渡し。
被告Bについては、控訴を棄却

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